オルドス一周

 8月14日に帰省するために、800キロ離れたオルドスの南端にあるオトグ前旗に向けて車を走らせた。朝8時頃にフフホトを出発し、丸一日かけて両親の暮らしているアラル草原にたどり着いた。両親の具合が好ましくなかったので、3時間くらい留まった後に、両親を乗せた車をオトグ前旗の行政区間に走らせ、そこにあるホテルにて、一夜を過ごした。    翌日の朝、隣町の銀川(イスラム教徒の回民族の居住地)に向かった。走ること1時間半、銀川に着き、捜し求めていた銀川第五軍医病院が見つかり、両親の診断に臨んだ。診断の結果、異常なしという喜ばしいものだった。健康は何よりだ。
 銀川のあるレストランで皆で昼食のテーブルを囲んだ。皮肉なことに、注文して出てきた品のすべてが激辛!ほとんどのおかずに唐辛子をかけるのは、ここ銀川の特徴でもある。モンゴル人は昔から辛いものが大の苦手だったこともあって、皆白飯だけをきれいに食べ尽くし、おかずはほぼ触れずのままに残しておいた。
 午後、オトグ前旗にUターンした。両親の暮らしているアラル草原に着く少し前に干ばつが酷かった今年の大地に珍しく雨が降り出した。面白いことに、僕が帰ってくる度に雨が降るのだ。次の午前中に、アラル草原を出発し、隣にあるウーシン旗に向かった。着いてびっくりしたことは、一万人足らずともの小さい街だったのが、今では人口が10万人を超え、建設ラッシュに家賃も物価も上昇し、フフホトとそう様変わらないというのだ。原因は、やはり油田開発のために、労働者として中国の違う省都から移住して来た人たちために住居も含めて、開発に手を付けたみたい。ウーシン旗は天然ガスや石油などの地下資源が埋蔵されていることに、政府が目を付けたそうだ。資源で潤うということは、経済的にはいいかもしれないが、開発のために、外部から大勢の労働者を移住させるのは、ある意味文化の撲滅につながることだと思う。モンゴル人の居住地だったここもいつかはモンゴル人自身が少数派に転落し、言葉も文化も失われる日がやってくるのはそう遠くない、時間の問題だ。いや、もう既に少数派になっているかも!
 ウーシン旗にて一泊し、次の日の17日の午後4時50分のバスでオルドス市に向かった。3時間かけて、オルドスに着いた。ここオルドスは、前日本でも埋蔵量200億トンの石炭の盆地発見されたということニュースで取り上げられたように、ここは2のドバイだ。高級車は上海の次、物価はフフホトの2倍と言われている。親戚で、中学時代のクラスメートだったビリガに会い、彼が経営しているモンゴルバーに行った。オープンした当時と比べられないほど、規模が大きくなっていた。彼もここ数年、オルドスの景気に身を任せて、バブルを享受している一人なのだ。不動産に手を付け、幾度もの大金を手にしたそうだ。高級住宅にマイカー、しかもその住宅の値段はなんと70万元(1200万円)以上もする。30代そこそこで、ほしいものはほぼ手にした。理想な人生の送り方だ!
 18日の午後5時半にオルドスを出発し、9時過ぎにフフホトに戻ってきた。我が友のエリデ二が日本から友人と内モンゴル満喫の旅のため、フフホトに駆けつけていた。10時半頃にエリデニ夫妻と日本人の荒田さん、和平夫妻など国内や国外でよくつるんでいた仲間と面会し、バーで酒と話に没頭した。
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