遠距離家族

 札幌とほぼ同じ緯度の北緯43度のフフホトに両親が駆けつけたことを兄貴からの電話で知らされた。いくら遠距離でも同じ一直線に家族と共にいられるだけでも僕は最高に嬉しい。今晩20時の列車で内モンゴルの最北端にあるフロンボイルに向かうそうだ。一年中多忙な日々に追われる両親がこうして長距離の旅に出るのは、何年ぶりのことであろう。遊牧民族としてのモンゴル人は、モンゴル帝国の最盛期には、家畜を追い、水や草のいいところを求めて、どこまでも行けた。しかし、我が両親の世代は生活圏には足が届かなかった。彼らは遊牧生活の圏外に弾き出された、半農半牧という生活スタイルの変容に順応し、ノマディック的な行動や思想ずっと抑えてきたものだ。近代化というのは何を根拠に言っているのであろう?発達した科学を絶対的に崇拝し、科学による社会作りを推進するのが現代の流れだ。伝統を撲滅し、近代化をもたらす科学を大いに促進しようということが両親の生活圏のすぐ近くでも起きている。発展することはいいことであろう。しかし、何事にもバランスが問われるものだ。バランスが悪いから近年テロ事件が後を絶たない状況にあるのでは?まさにハンチントンの言う「文明衝突」のことである。彼は「人類はみずからの文明によって滅びる」と世界に向けて警鐘を鳴らしたことがあるが、米国多発テロ事件を発端に世界規模で起きているテロ事件はまさしくそういうことであろう。ヨーロッパと中東、キリストとイスラム、裕福と貧乏、科学派と伝統派の対立による紛争が世界を不安に陥れてしまった。

 遊牧民やその生活スタイルを含め、文化そのものを侮辱し、軽蔑する傾向は強まっている。環境問題で騒がれている21世紀なのに、なぜこうした環境に優しい文化を大事しないのか。遊牧民のおかげで、いい意味で世界は縮まった。国同士の距離がもっと近くなった。貿易ルート、ネットワークの形成の基盤を作ったのは遊牧民だったのではないか。それに現代学問分野でも自由な発想をノマド的思想というふうに例えるようになっている。遊牧を撲滅し、現代社会は外と接するのを辞め、閉塞的な社会に逆戻りする気でもあるのか。一言で言えば、遊牧は世界を豊かにしたと言っても過言ではない。そうすれば、旅行や外出を辞め、引きこもりが表彰されるような日がやってくるであろう。養老武の言う「バカな壁」が完璧に出来上るまで、そう時間はかからないようだ。   

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