異国の涙

異国の涙・・・現代のことば

劇場のロビーで幕間に、夫婦らしき二人の観客が突然近づき、声をかけてきた。
昨年の夏、映像作品『四季・遊牧―ツェルゲルの人々―』(三部作・全六券・七時間四十分)の上映会を、那覇市のパレット市民劇場で行ったときのことである。作品の制作者である私に、直接ひとこと話したいという。夫婦とも中国領内の内モンゴル出身で、沖縄に留学に来ている。三十歳格好の夫は、「妻はモンゴル族ですが、モンゴル語が話せません。自分が妻の中国語を通訳するので、ぜひ聞いてやってください」という。
このひ弱そうな妻は、夫を介して遠慮がちに語りはじめた。大勢の中国人の中で育ってきたので、モンゴル語が話せないばかりか、遊牧は遅れた野蛮な文化であるとすら思い込み、ずっと肩身の狭い思いをやってきたという。ところが、不思議なことに、故国を離れ沖縄に来て、この映画を見てはじめて遊牧というものをまともに自覚し、誇りさえ思うようになったのである。このことをひとこと直接伝えたかった・・・。こう言い終わると、彼女が急に安堵したのか、目に涙を滲ませていた。静かな表情ではあったが、感動を抑えがたく、ことばを幽かに震わせていた。
最後に、「勇気を下さってありがとう。今日の日は忘れません」と静かに述べると、彼女は一礼し、後半最後の上映開始のブザーに促されるように、夫とともに客席の方へ消えていった。
私は、慌ててすでに暗くなった客席に戻り、片隅でこの二人の若い夫婦を考えていた。彼女の姿がスクリーンの荒涼たる風景に重なるように現れ、最後の言葉が耳鳴りのようにいつまでも響いていた。
スクリーンに映し出されている世界は、この夫婦の故国ではない。彼らの地の北に隣接するモンゴル民族の独立国家である。人口の九十数パーセントがモンゴル語で話し暮らしている遊牧の国である。夫婦はどんな思いで、離れ離れになったこの「兄弟の国」に見入っていたのであろうか。
画面に映るツェルゲルの大地では、遊牧民たちは打ち寄せる世界市場の荒波にもまれながらも、人々の新たなる共同の形を模索し、懸命にに生きようとしている。貧しいながらも遊牧民たちは、つつましく誠実に生きている。そんな姿に沖縄の人々は心を動かされた。
幕が下りると同時に、会場には沖縄独特の゛指笛゛が折り重ねるように響き渡った。そこに沖縄の人々の熱烈な、揺るぎのない応えを読みとったのである。土地を守り平和を守るということが、どんな大切であるかということを沖縄の人々は改めて思い起こしていたに違いない。
内モンゴルの若い夫婦は何よりも、沖縄の観客のこの真摯な姿に胸を打たれ、同時に遊牧というものを異国で深く考えさせられることになったのである。
作者:滋賀県立大学教授 小貫雅男
2000年8月10日 京都新聞(夕刊)

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