オルドス帰還

10月24日
 午後3時45分にオルドスに向かって、フフホトを出発した。3時間かけてオルドス市に到着した。兄貴の友人であり、オルドス市の副秘書長のオユンダライ夫妻を始め、11人で夕食に臨んだ。夕食を終え、再び走り出した。2時間かけてハンギン旗入りし、現地の旅館にて、眠りに付くことにした。
10月25日
 朝一、6時20分にハンギン旗を出発し、日中両国による植樹が行われているオトグ旗のウランダワーに向かった。街から60キロ離れている現場に向かってひたすらアクセルを踏む。40キロを走ったところ未舗装の路が視野に飛び込んできた。凸凹な道を走りぬけ、やっと基地に着いた。
 日本各地から来た10名、フィンランド人1名に現地の方々が加わって植樹に励んだ。僕はマイクを取り、レポーター役を務めた。最初は坂本先生をインタビューし、その次にほかのメンバーたちの話を伺った。メンバーの中に、内モンゴル大学に留学している留学生の方もいれば、中国のほかの地域で日本語を教えている方、美術を教えている方もいた。出身地としては東京、大阪、北海道の方々がいる中、一人のヨーロッパの方が一際目立つ。フィンランドの方で、現在は内モンゴル大学で留学しているそうだ。彼女は日本語達者であることも僕を驚かせた一面だ。
10月26日
 ハンギン旗からオルドス経由で、オトグ前旗を目指した。オルドスで美容室を営んでいるソルゴグさんに会い、今後の事業について検討した。
 午後5時半にオトグ前旗に着き、オトグ前旗賓館に入る。夜は現地政府の人を始め、総勢11人で夕食のテーブルを囲んだ。バイ酒が勢い良くのどを通り、お腹に入っていき、盛り上がりモードに火が着いた。皆歌を歌いだす。
 一方現地で、アナウンサー希望で受験しに来たブリヤードモンゴル出身のツェツェグという19歳の女の子が故郷の曲を披露し、雰囲気を賑わしてくれた。
10月27日
 8時に起床し、支度した後、地元文化局局長のセチンバルさんの誘いで、朝食を取りに料理屋に向かう。とあるレストランの一角で、副旗長、オルドス市の博物館の方々が座っている朝食のテーブルに邪魔する。昼は現地の宣伝部の役人とテレビ局の方々の招待を受け、またもや食事のテーブルへと顔を覗かせる。
 午後は実家へ車を走らせ、一時間半あまりで実家に着く。ご飯を食べた後、日没までお父さんの作業を手伝う。
10月28日
 今日は朝からお父さんと一緒にトラクターに乗り、砂漠の柳といわれる一種の野生の木を切りに出かける。この木はモンゴル語でborgas砂漠に地帯に生えるもので、柵造りや牧草の縛り用の縄として使用される。
 久々の肉体労働に体がついていけなくなり、目標の量を集めるまでだいぶ時間かかった。4時間をかけて、トラクター一台の量を切ることができ、豊作を乗せたトラクターを勢い良く走らせ、帰宅する。時間はずれの昼食を取った後、お父さん(10月30日だが、早めに祝う)の誕生日のお祝いにケーキ食べる。生まれて初めて誕生日祝いを体験するお父さんはいくらか照れそうにケーキを口へ運ぶ。モンゴル人は昔から自分の誕生日を祝う習慣なかったことがある上、お父さんもいつも自分誕生日を平日の如く過ごしてきたからだ。
 日没前にオトグ前旗へ向かって出発する。目的地に到着後、親戚がご馳走のテーブルを用意し、出迎えてくれた。
10月29日
 今日の昼は兄貴の同級生たちの誘いで昼食会を開いてくれた。夕方は我が親戚のジヤーが引き続きパーティーの場所を設け、皆勢いよく盛り上がった。
10月30日
 オトグ前旗のある店で、現地特有の粉タンを頼み、朝食を済ます。我が親父が田舎からやってきて、13時頃に合流する。本人の誕生日だったのをすっかり忘れ、昼食を取った後に思い出し、後の祭りとなった。
 午後はハンギン旗に向かって走り出す。6時頃にハンギン旗に到着し、兄貴を会う約束を交わした要人が一向に現れないため、料理屋で夕食をとりながら待つ時間およそ2時間、やっと待ち合わせの場所に出現する。用事を済ませ、オルドス市へ向かう。夜の10時30分にオルドス市に着く。小中学時代の同級生であり、親戚でもあるビリゲが中学時代の担当先生とクラスメートの数人を集め、僕の歓迎式をやってくれた。朝方の4時まで騒ぎ続けた。旧友たちの集まりに無限に喜びを感じた。
10月31日
 午前中、オルドス学院の学長のツァガンバートルと会い、プライベートの話を交わす。長男がフフホトに帰りたいというので、同乗することを黙認する。オルドスを出発し、経由先のボート市で昼食を取った。時刻はすでに2時を回っていた。午後4時30分にフフホトに着き、大量の荷物を自力で運ぶ作業に励む。
 夕方は高校の同級生バヤスガナーと夕食を共にすることで合意する。夕方7時過ぎに5人(大人4人、子供1人)でチベット料理で集まり、食事に臨んだ。バヤスガナーの旦那は今年、外務省の試験に合格し、10月に領事としてシェラレオネに派遣されたばかりだ。
11月1日
 一週間のオルドス出張によって、思わず風邪をひいてしまった。風邪に苦しみながら、1989年から1996年までモンゴル国でモンゴル劇を研究し、自分の研究分野だけでなく、モンゴル国の日常について本国の新聞に数々のコラムを載せることでモンゴルの芸能界、政界から一目を置かれる存在の日本人研究者の木村あやこ。彼女の書いた「西から昇る太陽」という一冊と興味深く読んだ。
 一日本人がモンゴル国の現状について、鋭くかつ生々しく描いたのがとても衝撃的だった。この一冊をモンゴル民族の全員に是非とも読んでもらいたい必見の一冊なのだ。
11月2日
 昼頃、テレビ局の監督のツァグドル氏と面会し、ろくに話もしないうちに、昼食へと誘われた。オルドス歌舞団の名ダンサー出身で、監督のバドマー氏と同席した。午後は兄貴と兄嫁がオルドスから戻ってきた。
11月3日
 日本留学時代の大先輩だったバイフホムチル氏に連絡取り、面会し、チベットレストランにて食事しながら、今後の方向性について語り合った。日本から広告費を集め、雑誌を作ることで、協力要請したところ、さすがの豪快な男であって即座にゴーサインを出してくれた。うれしいことだ!
 
 
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オルドス帰還 への1件のフィードバック

  1. 井谷 昭文 より:

    バイ・フホムチルさん! 懐かしい名前にウエブの中で出会いました。

    彼の日本国(札幌市)留学時代の知り合いです。

    彼に連絡が取れたならこのアドレスを教えてあげて下さい。

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