筑紫哲也の死去

 

 

 

1959年

 

 

 

早稲田大学卒業、同年朝日新聞社入社

1968年

米軍統治下の沖縄特派員として返還交渉を取材

1971年

ワシントン特派員。
ニクソン訪中、ウォーターゲート事件などを取材

1974年

日本の高級週刊誌「朝日ジャーナル」副編集長

1984年

「朝日ジャーナル」編集長
「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」「元気印の女たち」などの企画を成功させ、“新人類”“元気印”などの流行語を生む

1988年

編集委員として、ニューヨーク駐在

1989年
7月

朝日新聞社退社

経歴

1989年10月からTBSテレビ「筑紫哲也NEWS23」のメインキャスターをつとめる。以来、18年間に渡り、日本で最も信頼のおける国際派のテレビジャーナリストとして活躍。この間、番組では毎日起きるニュースを鋭い視点で切り取りとってきた。2002年にはイラク戦争直前のイラクを取材するなど、現場にこだわって取材活動を続けている。

また、番組は多くのビッグゲストを招いてきた。政界・経済界のリーダーや「時の人」などのほか、故・黒沢明監督や指揮者の小沢征爾氏、映画監督のオリバー・ストーン、女優・ジョディーフォスターなど多くの文化人も出演している。

1998年11月にはアメリカのクリントン前大統領をスタジオに招き、市民との直接対話を実現。2000年11月には中国の朱鎔基前首相との市民対話の司会も努めた。

著書

「総理大臣の犯罪」「猿になりたくなかった猿」「メディアと権力」「このくにのゆくえ」「このくにの冒険」「乱世を生きよ」 など多数

座右の銘

「多事争論」(福沢諭吉)

趣味

焼き物、シュノーケリング

  11月7日に日本のジャーナリズム界を激震が襲う。上記のように素晴らしい肩書きの持ち主で、日本のジャーナリズム界の主役を務めてきた筑紫哲也さんが肺癌で他界し、帰らぬ人となった。死ぬ寸前まで若い世代に何か残そうとして、懸命に癌と戦ってきた。日本の数多いジャーナリストの中で、もっとも僕の敬意を買っている方でもある。50年間に渡って、日本の動きや変化をすかさず世の中に報道してきた第一人者と言っても過言でない存在。偉人の突然の死に日本の各界がショックを隠せない。日本中が風邪気味のような症状に陥っている。

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