内モンゴル入り

 1月10日に札幌からANA54便で東京へ向かう。11時20分に羽田空港に到着した後に、エリデニ君に連絡を入れ、彼の宅に寝泊りすることを申し入れた。東京モノレールでエリデニ君の住まい近辺の駅である巣鴨駅を目指した。一時間後に彼と合流し、飯に談笑を交える形で軽く一時間以上を経過させてしまった。ソニーピクチャーズの鈴木さんに早稲田大学での中国の映画「戦場のリクレエム」の試写会に誘われたが、スタート時間が1時15分なので、最初から参加するのはほぼ不可能になり、途中から駆け込むことになった。3時半過ぎに早稲田西キャンパスに着いたが、会場のある場所はまったく違うキャンパスだった。迷いに迷って試写会の会場にたどり着いたものの、中に入ることができなく、試写会が終わるのをひたすら待つ。4時半頃に鈴木さんが会場から出てきたところで、用件について意見交換をする。それに映像プロダクション系の仕事に携わる田中という方が加わることになり、モンゴル映画の配給について本腰をいれることで全員意見一致した。
 1月11日
 10数年前からよくつるんでいた仲間のサイシが東京の幡ヶ谷駅のすぐ横にモンゴル風居酒屋を構えたのは、今から二年前のことだ。二年目にして店がそれなりに繁盛し、今ではもう一箇所にラーメン店を構えるくらいになった。そこに、オルドス人仲間と一緒に集合し、飲み食いに徹することになり、二次会はメンバーのうちの一人、ウチラ君の家ですることになった。久々に気が遠くなるまで飲んだ挙句、頭がふらふらするし、痛いし、眩暈がすることも度々だった。お酒というのは飲む時は、楽しいけど飲んだ後は、この身が苦しみに遭う。もう二度と飲まないと宣言までしても、後日にそれを忘れたかのように、またもや飲みだすという人間の心理はわかりづらいものだ。
 1月12日
 18時にNW029便で成田から北京へ飛ぶ。夜の9時40分に北京に着き、出張で北京に来ていた兄貴に出迎えてもらう。
 1月13日
 北京からフフホトへ向かって内モンゴルドキュメンタリーセンターの真新しい車を走らせる。今まで昼間に車で北京フフホト間の距離を走行したのは、一度もなかった。万里長城の麓をくくり抜け、走ること6時間やっと念願のフフホトにたどり着いた。
 1月14日
 夕方の6時過ぎに友人のタンギスとノルボに会い、8時から始まるコンサートの会場に臨んだ。コンサート自体はモンゴルと中国の共同開催であるがために、モンゴル国の有名なスター軍団が一斉にステージに立つことになった。あの80年代にロック界の風雲児のジャラガルサイハンも姿を見せ、60歳にして明瞭な歌声で「6.45」を歌いきった。若き時代と変わらぬ健在ぶりを披露し、会場を沸かした。
 1月15日
 オルドスからオルドス市の秘書長のオユンダライさんが駆け付け、フフホトのとあるレストランにて、共に食事に臨むことになった。彼は内モンゴルの元書紀の前雲峰さんがなくなられた件で、フフホト入りをしたそうだ。亡くなられた本人はオユンダライのお爺さんに当たる人で、内モンゴル自治区の建立に当たって貢献した人で、多大な影響を持つ人間でもある。
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