モンゴル紀行

2月14日
 朝の6時にエレーンホト市に着き、「康霸」という旅館にて休憩を取ることにした。昼は「蒼き狼」レストランで昼食に臨んだ。列車が朝の6時についたものの、再出発するのに午後3時までかかるという。この日はバレンタインデーであって、恋が実るめでたい日である。同情していたモンゴル国の年輩の女性から旭鷲山が離婚することを固め、この日、モンゴル国の著名な歌手のバヤスハランとの蜜月ぶりを披露したという。
 15時過ぎに出発し、国境を越えてモンゴル国の国境街のザムインウーデに着いた瞬間、一斉に査証や荷物の検査が始まる。一時間以上かかり、検査が終わったが、またもや6時間も停留することになった。ザムインウーデにて、外食を済ませた後、数時間後の22時半に動き出した。
2月15日
 モンゴル国の大地に足を踏み入れたのは、11時半頃だ。我々を出迎えてくれたのは、90年代モンゴル国や内モンゴルでその名を轟かせた名バンド「ハランガ」のメンバーエンフマンライ氏とコンビのバトスヘー氏だ。彼らはウランバートル市でISEGEI TUURGATAN(ノマディック) NEE AKADEMIという会社を興し、民族文化を復興させるために活動しているようだ。お二人の案内でウランバートル市銀行の北側に位置しているDREAM HOTELに泊まることになった。荷物を部屋に入れた後、ホテルのすぐ下にある中華風レストランにて昼食を取る。
 食事の席でバトスヘー氏から非常に興味深い話を聞かされた。ハラホリン周辺の土地からエジプトやギリシャの古物が発見されたという。モンゴル高原でも文明国との交流が盛んだったようだ。
2月16日
 今日はモンゴル映画関係者の案内でウランバートル市の映画館で最新作の「uhuj olo bolonoo,chingis khaan」鑑賞させもらった。観客者としてモンゴルの俳優のダムジャさんともう一人の年輩の芸能人が同席した。作品自体は内容を別として、当時の雰囲気をありのままに表現できたと思う。700万元その後、モンゴル国映画会社の関係者との打ち合わせに突入した。ゾルバイラー氏とツァグドル氏を主として話が展開された。
2月17日
 ウランバートル市に駐在する数人のオルドス人が我々の泊まるDREAM HOTELの一階にある中華風レストランで一同に終結し、昼食会を開いた。昼食後、「ハランガ」のメンバーのエンフマンライ氏の案内で、彼らの事業本拠地である「ISEGEI TUURGATAN NEE AKADEMI」の事務所を訪れ、今後の事業展開について話し合った。
 エンフマンライ氏と同僚のバトスヘー氏がテレビ番組を制作する計画にあり、そのために車で4000キロもの距離を旅したそうだ。その間、モンゴル国でも社会現象になっていることについて、察知したのを我々に打ち明かしてくれた。今モンゴル国でシャーマンが増えつつある。シャーマンはモンゴル帝国時代に盛んになっていたものの、その後社会主義時代を機に、消息を途絶えた。民主主義化となった現在再びその姿を現した。彼らは未来を予想するできるほか、敵なるものを呪う力も備わっている。近年、モンゴルの地下資源を狙って、近隣諸国が上陸し、採掘しまくり、自然破壊をもたらし、遊牧民の健康を脅かすほか、生活の場を奪うこともたびたび起きているようだ。そういう集団を撃退する唯一の手段はシャーマンによる教えだ。
2月18日
 夕方、ウランバートル市から8キロ離れた宿営地に足を運び、オルドス人たちの新年会に参加した。ウランバートルにいるオルドス人は約百数十人もいて、今日来られたのは3分の1程度だ。皆、名弁護士や大企業の責任者、大学の教授という肩書きを持ち、出席頭の塊であることを知った。中にオルドス高校時代の先輩もいた。
2月19日
 近年世界中がチンギスハーン関連の映画の製作に殺到する中、ロシアのヤクード族も独自の撮影で「チンギスハーン」を作り上げた。今日は作品の開幕式だ。モンゴル映画関係者の引率で作品の上映に臨んだ。どうやら、監督はロシア人のようだ。中に出演している俳優は、トウバ共和国、モンゴル国、内モンゴル自治区、ブリヤード共和国から駆けつけた役者たちだ。チンギスハーン役を演じたのは、トウバ共和国の二重の役者だ。今までチンギスハーン役を演じた人は皆一重の人ばかりだったのを思うと、受け入れがたい存在だった。撮影は三年に渡って行われたが、さすがに技術的には優れていた。内容的には杜撰だったことは言うまでもなかった。
2月20日
 午後は名バンドHURDのメンバーと会い、食事を取りながら、内モンゴルや中国のほかのモンゴル地方でのコンサート開催について話し合った。夕方8時を以って、モンゴル国の034号列車に乗り、フフホトへの帰還に臨んだ。同席したメンバーにはウラーンというオルドス人で、モンゴル国でビジネスに成功した年輩の方だった。モンゴルの列車は中国の列車と比べると寝台も広いし、ルームも暖かく、乗務員の態度もサービス精神も明らかに優れていた。フフホト発ウランバートル行きの列車は汚かったし、乗務員のサービスも悪かった。夜中、お客さんが寒さに耐えられなく、震えているのに乗務員たちが酒に溺れ、酔った状態でお客とやり取りしていた。中にいる中国人客も客であって、一人の中年女性が寒さに耐えなく、布団を被った状態でトイレに直行する姿を見て同乗者のモンゴル国の年輩の女性が思わず呆れていた。
2月21日
 12時前にエレーンホトに着き、食事後にウラーン氏の車でフフホトへ直行した。夕方6時頃にフフホト入りし、オドタイにて夕食を済ませた後、各自の家に戻る。
2月22日
 一週間ぶりに洗濯に突入する。服装に付着したウランバートルの塵を洗い落としながら、日記の書き写しに臨む。
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