アバター

 昨日はモンゴル国友人バイラの愛娘の誕生一周年だということで、短髪式を兼ねてのパーティーに誘われる。12過ぎに湘南台にある彼の宅を訪れ、出席人の皆さんと合流する。酒にほろ酔いし、そのまま彼の宅で一泊することになる。 
 今朝の電車で東京へUターンし、池袋にあるシネマ館で話題作のアバターを鑑賞する。2時間以上かけて作品を楽しんだ。3Dという映画産業の革新的な技術に魅せられ、ハリウッド映画界の実力を改めて認識し、心の底から敬服の念を表明する。映画の内容は21世紀の人類社会の一大課題とされる環境問題について取り組んだものだ。人間はエネルギー需要で地球外のパンドラという惑星を目指す。パンドラの原住民とされる青い肌の人々たちが地球人の襲ってくるのを知るともせずに大自然に囲まれながらののんびりとした生活を享受する。彼らの住んでいる場所に鉱山が現れたので、地球人たちが彼らをそこから追い払い、そこを占拠しようという企みが浮上し、交渉人としてジェークをパンドラに送り出す。だが、ジェークはそこの人たちの言語や習慣を身に付け、生活に馴染んでくるにつれ、最初に出会った村長の娘と恋に落ちることになる。ジェークは大自然や生命を何より大切にしながら暮らすパンドラに住む人々の生き方に魅せられ寝返ったかのように、やがて上司をはじめとする地球人に反旗を示す。地球人の指揮官の欲望に満ちた残虐かつ凶暴な一面に耐えられなくなり、恋人のパンドラ人と一心同体になって地球人と戦うことを宣誓するジェークに率いられるパンドラ人と地球人との間に戦争が勃発する。巨大な戦車やテクノロジーの前では、弓矢を持つパンドラ人は相手にされないと思われたが、パンドラ惑星に住むすべて動物たちもパンドラ人と一緒になって戦い、最終的に栄光な勝利を手にするのであった。   映画評論家で明治学院大学教授の四方田犬彦氏が本作品について新聞で評論を掲載していたのを読んだ。それによると、この作品は「猿の惑星」と違って、差別要素が含まれていないとしているが、僕からすれば、そういう要素が鮮明に入っていると言いたいところだ。そもそもパンドラに住む人がなぜ青い肌なのだろう。それは蒙古斑を持つモンゴロイドのことを想起せざるを得ない。実際映画の中で登場するパンドラの人たちがもろインディアン人にそっくりで、生活ぶりもそれらしいものだった。今日の米国もアメリカ原住民のインディアン人と白人たち(侵略者)との壮絶な戦いによって形成されたことはご周知のことである。作者の意図はアメリカの過去の歴史を振り返りながら、やや白人たちに罪を被らせているようにも見えたが果たして本音はそうであろうか。もし、本当にそうであれば、この作品の中の差別的な要素も取り上げられるほどもなく、黙認すべき二次元的なものになる。
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