現代アーティストとして

 10数年前にミュージシャンになるという熱い夢を捨てきれずに彼方の北京を目指したのは21歳の時だった。ミュージシャンになるには遅咲きの決断だった。でも、自ら経済状況にも関わらず、不可能を可能にしようと冒険に旅立ったである。21歳の彼が初めて北京を訪れ、右も左も分からない大都市のど真中を彷徨いながら、希望を満たそうとし、辿り着いたのはとあるレストランだった。彼はレストランで皿洗いやウエターの作業をし、食いつなぐだけの収入得て、次のステップへ登ることを模索した。一日の労働時間は8時間、店が終わったあと彼は同郷人で有名な歌手としてその名を轟かせるテンゲルのもとを尋ね、「楽器を習いたいので、応援の手を伸ばしてください」と懇願する。そうするとテンゲルは当時自ら率いていた「蒼き狼」というバンドのメンバーとして活躍していたベース担当を自分に向かわせてくれた。無論、学費なんて到底払っている余裕はない。人の顔色をお伺いながら、見習いすることにした。仕事が終わったあと、隙間を縫っては楽器の勉強に励んだ。2年後、彼はフフホトに戻ってきて、人の前に立って演奏するようになった。味わった苦労は人の倍以上。だが、音楽というものを心の底から愛したため、彼は苦労を苦労扱いはしていなかった。むしろ、自分の夢を適えるのに、通過するべきルートだと見做し、楽観的に見過ごした。
 いつしか気が付けば、もう10年の歳月をあとにしたではないか。当の本人が今内モンゴルで作曲家、ミュージシャンに現代アーティストという肩書きを持ち、公認の音楽家の仲間入りを果たしたのである。その名はTuvshinzayaaなのだ。素晴らしい歩みに喝采!
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