映像と文化

              映像から見る文化

 

 日本は明治維新により、「脱亜入欧」論のもとで西洋文明を取り入れ、改革に乗り出すことで今日のような繁栄を手にした。しかし、日本は決して、自分独自の文化を切り捨てたわけではない。日本文化もきちんと受け継がれつつも、外国の優れた文化を受け入れつつ今日を迎えた。それは物を残す、文化保存に卓越な日本だからこそ日本らしさを保持できただろう。

 我々内モンゴルは今、変わり目の頂点にきている。清朝の末頃から中国本土からの入植者により、漢文化の影響を受けることになった。内モンゴル自治区の中でもいち早く、いや割と早い段階から漢文化と接した地域の一つだと言っても過言ではないだとう。20世紀の初頭に農業を営む目的で万里長城以北の遊牧民地域の最南端にあったオルドスを入口に北上する漢族の人々の影響を受け、モンゴル文化も絶え間なく変容された。言ってみれば、一種の文化混血のようなものだった。そして言語も混血する。人類文化学者の今福龍太に言わせれば、それはクレオール主義というものだ。

 いつしか気がつけば、モンゴル人の中からも農業のノウハウを覚え、耕すものまで出現した。20世紀の50年代からオルドス地域はすでに半農半牧の殿堂入りを果たしたのだ。今では中国政府の政策により、牧民たちはやむを得ず生態移民として草原地帯から都市部へ移動する。こうした数々の要素がそもそも、長い間に渡って、放牧という生活スタイルとオルドスならではのダルハドというチンギスハーンの宮廷に携わってきた人々の子孫たちによるチンギスハーン司祭の上に成り立ったオルドスモンゴル文化も変貌を成し遂げている。一部の伝統的な習慣や儀式も忘却寸前まできている。昔は文化や習慣を子孫に残すのに、行動あるいは口承で伝達していた。そのやり方は現代に通用しない。例:ある日本人は私にこう言ってきた。「あなたたちモンゴル人は物を残さないから好きだ」と。確かに昔はそうだったかもしれない。でも、今もそのスタイルで貫くのであれば、世界から取り残されるだけだ。

 世界から取り残されないために伝統文化の保存から手掛けていく。発達したメディアを生かし、大事な文化要素を記録しておくべきだ。

 そのために僕は今、映画やドキュメンタリーを媒体に文化の宣伝に取り組んでいる。映画から製作国、或いは登場人物の環境、生きている場所の文化が捉えられる。

  

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